和食器の九谷焼と有田焼
和食器と洋食器の違い
家庭やレストラン、何か御呼ばれのときなど、美味しい料理は素敵な食器に盛られていることに気づかされます。芸術家北大路 魯山人は食と食器に並々ならぬ情熱を注いだ美食家として知られています。
私たちが日常使う食器には、大まかに分けて和食器と洋食器に分けられます。洋食器は固い磁器を使って作られたもので、お皿やカップなどを思い浮かべることができます。
これは、西洋ではホークやナイフ、スプーンなど金属でできた物で傷つかないためとされています。
一方の和食器は、土(粘土)を捏ねて、焼いた陶器や木を削り漆をかけた、漆器などを思い浮かべます。
どちらも、磁器に比べもろくはありますが、洋食器には無い温かさや、心地よさを感じることができるでしょう。
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和食器は、その質感だけでなく手に持った重量感も味わいのひとつなのです。和食は、洋食とは違い食器を直接持って食事をします。そのため、食を楽しむために和食器は料理の一部として重要な働きをしているといってよいでしょう。
そのため、日本には全国に多くの焼き物の産地が点在し、それぞれ個性的な和食器を現在も楽しませてくれます。
陶芸家でもあった魯山人は「食器は料理の着物である。」と記しています。料理を際立たせる、和食器を選ぶのは美しい女性にもっとも似合う着物を選ぶのに似ている。というのです。
何気なく頂く美味しい料理の影に、料理人が選ぶ食器の美しさが隠されているのです。食事の際、和食器のよさに触れてみてはいかがでしょうか。
和食器と九谷焼
日本には多くの窯元があり、各地で優れた焼物が誕生しています。和食器はこうした窯元から、次々と生まれいつでも私たちの目を楽しませてくれます。
石川県能美市や金沢市で盛んとされる九谷焼は、やや青っぽい素地と絵付けが特徴の焼物です。花器や茶器のほか皿、徳利や猪口などの酒器などの和食器にも多く見られます。その歴史は古く、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。
大聖寺藩の九谷村(石川県加賀市あたり)で、良質の陶石がみつかったのを機に、藩士後藤才次郎を有田へやり、陶器、磁器を焼かせたのが始まりといわれています。日本的色絵磁器の代表として現在も高い評価をされています。
ところが1730(享保15)年、釜は突然閉じられたといわれています。何の文献もなく、理由は今だわからずじまいです。九谷焼は謎が多く、古九谷は有田で焼かれていたという節や、絵付けだけは九谷でされていたなど現在も多くの議論がなされています。
現在の九谷焼は、廃窯から約80年後興された、再興九谷とされています。金沢の春日山(かすがやま)窯が開かれ、その後能美市の花坂山(小松市八幡)にて新たな陶石が発見されました。再興九谷はここが主な採石場となっています。
再興九谷の主な画風は、古い順に古九谷、木米、吉田屋、飯田屋、庄三、永楽と進化を遂げました。どの画風も美しく、和食器には欠かせない一品とされています。
ご家庭でも、九谷焼和食器を一度使ってみてはいかがでしょうか。
和食器と有田焼
和食器といえばまず、有田焼を思い浮かべる方も多いかと思います。有田焼は、「伊万里焼き」とも呼ばれ佐賀県西松浦郡有田町を中心とした窯元で作陶されている磁器の総称とされています。
画風には「古伊万里(いまり)」「柿右衛門」「金欄手(きんらんで)」「色鍋島」の四種があるとされています。
和食器のみならず、洋食器にあしらっても現代的な文様として、国内だけによらず、東南アジアやヨーロッパでも今なお高い人気を誇っています。
「古伊万里(いまり)」は白色の素地に青一色で絵付けを施したものに、釉薬を掛けて焼かれ、ガラス質の釉薬の中で澄んだ輝きを放っています。のびのびとしたタッチが特徴です。
柿右衛門の様式は、乳白色磁胎「濁手(にごしで)」で、上絵は赤・黄・緑、青の4色です。
後に金や紫が加わりますが、季節感溢れる日本画的様式の画風が特徴です。名工酒井田柿右衛門の名がまず挙がるでしょう。
金欄手様式は染付に金彩や赤色など多彩な顔料を用いた絢爛豪華な様式です。色絵磁器が貿易の最盛期を迎えたころの様式で、バロックやロココ様式などが混ざり合っています。
見るも鮮やかな有田焼で、日本の浮世絵や風俗画なども大きく影響を与えていたといわれています。
色鍋島は佐賀鍋島藩門外不出の藩窯の技とされ、計算され尽くした洗練された文様が特徴です。上絵は赤・黄・緑の三色に限定され、将軍家や諸大名への最高級の献上品として使われいました。
和食器は食材を今も、美しく支えているのです。